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らいフ

ジャムの店、リリーのはなしのまつうらです。まいにちのきろくです。

春の土

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うるわしいよ。ふきのとう。

毎年蕗味噌にしてたべていたのが、今年はスーパーでも見かけず、田んぼを散歩してもみつけられず、がまんならなくなって楽天で買ってしまった。

野草をネットで注文するなんて…ばかげているけど、そうおもうと服を買うのも家具を買うのもぜんぶばかげているような気がしてきて口を開けて白目をむいて呆けてしまいそうに気が遠くなったのだった…

子どもの頃、長野の田舎で、生えすぎて踏んづけて歩いていたふきのとう。大人が有難がってたべているのを横目にどんぐりガムを噛んでいたのに、気がついたらわたしも「春なのにふきのとうがないなんてげんきがでない」と口走っていた。

お弁当の、ごはんのところに蕗味噌をのせると、蓋をあけたときなんともいえない灰汁っぽい土っぽいにおいが漂うので一瞬ひるむ。それでも口へ運んでその灰汁っぽい土っぽいにおいを慎重に味わってみると、うまくいえないけれどなんだか原始的な気持ちになってまた気が遠くなってくる。

(ケチャップたっぷりのフライドポテトの対極の、分かり難いものを味わっている釈然としないきもち)

深呼吸っぽい作用のあるたべものだなあとなんとなくおもう。

冬の流行り





風邪をひいた。

おとといの晩から高熱が出はじめて、真っ先にインフルエンザを疑って診察を受けたけれど、インフルエンザではなかった。

咳や鼻水に悩まされることはあっても、熱が出て寝込むような重症の風邪は、たぶん生まれて初めてだ。
まだ熱も上がりきらず頭が元気なうちは、「いくら高熱といっても座って書き物をするくらいはできるだろうから、もらったりきりになっている手紙の返事を書いたりして過ごそう」なんて思ったのだけど、39度の熱に一晩も浸かりっぱなしになると、のぼせたようになって頭の中がぐるぐると揺れて、横になっている以外のことができなくなった。
私のことだから、風邪だからといって食欲にも特に影響はないだろうなとおもっていたら、絵に描いた感冒患者のようにおかゆと梅干ししかたべられなくなった。
それにしてもおかゆってとてもいい。きれいな味がする。お米があって本当によかった。外国のひとは、風邪をひいたときなにをたべるのだろう。せいぜいパンを牛乳に浸してたべるのだろうか。気になってしらべてみたら、チョコレート入りのおかゆやターメリックを溶かしたミルクや、スタミナ付けにステーキをたべるという国もあるらしい。
外国人が宇宙人のように思えて、ますます頭がくらくらした気がした。

発熱から丸2日経って、熱は37度台までさがってきた。ゆきさんのつくるおかゆは毎食ちいさな土鍋に入って運ばれてきて、おやつの干し芋はたべやすく切られて、爪楊枝とマスキングテープでつくったメッセージ入りの旗がさしてあった。好きなものがたべられなくてもうれしくなる食卓って、あまりないとおもう。ゆきさんが大事にしていることがすこしわかった気がする。



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ものさしおばさん

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アップルおばさんのアップルパイ

という絵本があって、

そこにでてくるアップルパイは、今回つくったアップルパイのようにパイ生地が編まれていて、

そこに幼いわたしはとてもとても、憧れていた。

長細く切られたパイ生地が編まれてこんがり焼けたアップルパイ。

アップルパイといえばパイ生地が編まれていなければ!という、わたしのアップルパイものさしになった。

 

みんなそれぞれに、アップルパイものさしとか、チーズケーキものさしとか、コロッケものさしとか、あるとおもう。

カレーものさしであれば、カレーとごはんがお皿に半分ずつ盛られて、福神漬けがその境目に添えられたものこそ、カレーであるとおもうひととか。

ホットケーキものさしであれば、3枚重ねられたホットケーキの真ん中に10gくらいの四角いバターが乗っていて、ちいさな銀のピッチャーに注がれたメープルシロップが添えられて、そこにナイフとフォークがあってこそ、ホットケーキであるとおもうひととか。

 

料理名からイメージしたとおりのものが目の前にでてくるって、うれしい。

え、これがカレー?!みたいな、じぶんの常識が拓けるような意外なものにであうのもたのしい。

 

 

 

お菓子を焼く

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小麦粉、バター、砂糖、たまご…

 

いくつかの材料を、順序や分量を変えてこねて焼いたら、

その名前はクッキーになったり、

マドレーヌになったり。

1日に何種類も焼き菓子をつくっていたら、「文明」と掛け軸に書いて拝みたいようなきもちになった。

 

 

そのむかしは、「火を通す」っていうのは野生の植物やどうぶつをなんとかしてたべられる状態にする手段、だったのかな、なんて考えると、

クッキーやらマドレーヌやら、

なんてぜいたくだろうとおもえてくる。

 

精製された小麦粉や砂糖やバターはとってもきめが整ってきれいで、

なんとしてでもおいしいものをたべようという、

にんげんの執念をかんじるような、きがする。

執念というか、たのしむきもちというか…。